夜の果てへの旅

僕の夜の果てへの旅の記し

はじままして、夜の果てへの旅人です

フランスの二十世紀を代表する作家の一人に、ルイ=フェルディナン・セリーヌという人物がいる。僕のハテナブログでのニックネーム「夜の果てへの旅人」は、彼の代表作『夜の果てへの旅』から拝借したものである。僕はこの本を大学一年生の時に読み、その読書体験は人生を全く狂わせてしまった。内容は一人のフランス人青年が、戦争を経験し、負傷を経て、アフリカ大陸に渡り、アメリカに渡航し、フランスに戻って開業医をする、というものだ。主題は人間の欺瞞と愛といったところだろう(抽象的で申し訳ない)。暗い雰囲気の小説で決して読むのをおすすめしないが、僕はどうしてもこの本に惹かれてしまうのだ。

 

ところで、読者の方々は本をどのようにして買われるだろうか。僕はよく「タイトル買い」をしてしまう。ここにいくつか、僕が惹かれた文学作品のタイトルを挙げる。

 

・夜の果てへの旅

・何もかも憂鬱な夜に

夜のピクニック

 

どうだろう、その人が好きな本のタイトルはその人の人生観を端的に表わしていると言えるのではないか(これはもちろん短絡的で危険な思想である)。僕の場合、「夜」という言葉に惹かれる性格のようだが、その理由は言語化できるような代物ではない。アメリカ文学を代表するマーク・トウェインの言葉に次のようなものがある。

“Everyone is a moon, and has a dark side which he never shows to anybody.”

「人間は誰しも月のような存在である。誰しもが他人に見せない影の部分を持っているのだ」(夜の果てへの旅人 訳)

 

このマーク・トウェインの言葉に触れて、なるほどなと感じる読者もいれば、そんなことないと感じる読者もいるだろう。僕は前者であるのだが、それは僕の少し暗い過去が影響しているからなのかも知れない。その暗い過去ことについてはおいおいブログに載せるかもしれないし、それこそ月のように永遠に隠し続けるかもしれない。とにかく、そのような人生観が『夜の果てへの旅』の主題とうまく共鳴したのだろう。「夜の果て」とはつまり「朝」である。朝は太陽の光が道端に溢れ、人々がそれを浴びるためにドアを開け、ご近所さんに挨拶する時間である。少し暗かったあの過去をゆっくりでも乗り越えて、人を愛せるようになりたい。そのような思いを込めて、ハテナブログでのニックネームを「夜の果てへの旅人」とした。もちろん「夜の果て」に永遠に到着しなかったとしても、僕の人生だからそれでいい。それでも僕は、周りの光を借りてでも輝く月のような存在でいたいと思うのだ。