夜の果てへの旅

僕の夜の果てへの旅の記し

文学好きのための映画の中の文学

間テクスト性」という言葉がある。これは文学批評理論などで使われる専門用語だが、簡単に言ってしまえば、「どんな作品も少なからず他の作品に影響を受けている」ということを意味している用語だ。ここで言うテクストというのは文学に限らず、映画など他の作品をも指しているので、非常に汎用性の高い用語である。仲間内ですぐにでも使ってみるといいだろう(間違いなく嫌われる)。

 

今回は映画における間テクスト性、ひらたく言えば、映画に出てくる文学作品を紹介しようと思う。それらの映画は大なり小なり、その登場人物が読んでいる文学作品に影響を受けていることは間違いない。またそれは一方通行の化学作用ではなく、映画と文学が相補的に刺激していることも注目だ。まずはアメリカの60年代を代表する作品から見てみよう。

 

1映画『オン・ザ・ロード』の中の文学作品『失われた時を求めて

 

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ウォルター・サレス監督の映画『オン・ザ・ロード』は、実はそれ自体がもともと文学作品のアダプテーションである。この作品の時代、1960年代アメリカはベトナム戦争の泥沼化を経験し、国全体がやつれてしまった。主に戦地に行ったのは若者たちで、彼らは社会的にくたくたに疲れてしまった世代、つまりビート・ジェネレーションと呼ばれるようになる。ビート・ジェネレーションを代表する作家といえば、『吠える』のアレン・ギンズバーグ、『裸のランチ』のウィリアム・バロウズ、そして『オン・ザ・ロード』を書いたジャック・ケルアックたちが有名である。

 

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オン・ザ・ロード』はその名の通り、路が中心となる作品で、主人公がアメリカを横断していくうちに様々な人と出会いや別れを経験する、と言ったアメリカらしい逃避主義的な物語である。映画版でも原作でもそうだが、この作品のいいところは僕たちが特に何も考えずに享受できることだ。ジャック・ケルアック自身特に深いテーマを考えずに、自分の経験をひたすら書き示すことに快楽を覚えていたに違いない。この大作をタイプライターを使って脅威のスピードで書き上げていくケルアックの姿を見たトルーマン・カポーティは、「あれはライティングではなく、タイピングだ」と言ったという逸話まであるくらいだ。

 

さて、この60年代アメリカという若者が疲れ切って、自由なヒッピー文化に憧れていく時代背景をベースにした『オン・ザ・ロード』の中にはどのような文学作品が登場しているのだろうか。主人公のサルパラダイスはおそらくケルアック自身がモデルとなっている。サルパラダイスの友人ディーンとその女メリールウが旅の途中に本を手にしている場面がある。

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題名が『スワン家の方へ』と書かれているが、これはマルセル・プルーストによる世界的名作の『失われた時を求めて』の第一巻である。この作品は超大作で、文学に精通している者でも読破できたものはそういないはずだ(日本語版でも十巻以上ある)。はっきり言って『失われた時を求めて』と『オン・ザ・ロード』の間テクスト性は明確ではない。しかしどちらの作品にも言えるのは脈絡の無さである。『失われた時を求めて』の作品内では、主人公の話があっちにいったりこっちにいたりと、紆余曲折を経て不完全なまま話が進んでいく。『オン・ザ・ロード』も、特に一つの崇高なテーマがあるというわけでもなく、話がそれこそドラッグを体内に取り込んだ時のトリップ感のように進んでいく。わかりやすい大衆映画などが流行る時代を生きる我々にはあまり親しみが湧きにくいかもしれないが、本来芸術作品に一定の解釈をあてはめるのは奇妙な行為だ。それは「あなたを漢字一字で表すと?」という質問をされた時に抱く違和感に似ている。一種の未完成的な脈絡の無さという点で、『オン・ザ・ロード』と『失われた時を求めて』は互いに共鳴しているのだ。

 

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2映画『ウォールフラワー』の中の文学作品『アラバマ物語

 

映画『ウォールフラワー』も同名小説(スティーヴン・チョボスキー著)のアダプテーションである。現代の『ライ麦畑でつかまえて』と言われるように、この作品には若者たちの淡い青春が色濃く描かれている。

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エマ・ワトソン可愛すぎでしょ)

 

さてこの作品のタイトル「ウォールフラワー」とは不可解な英単語であるが、その意味は直訳でも事足りる気がする。つまり、「壁に咲く花』。友達の家でのパーティー、卒業パーティ、バンドサークルのライヴ、などどこでもいいが、そのような場所に一人は必ずいないだろうか、「積極的に誰とも関わっていない人」が。「ウォールフラワー」とはまさにそのような人を指すのだ。この作品のウォールフラワーは、主人公のチャーリーである。唯一仲の良かった友達が自殺をしたり、自らは精神病にかかっていたり、様々なハンデを抱えている少年が、ある出会いをきっかけに、ただのウォールフラワーから自分の人生に意義を見出すようになっていく話だ。様々な出会いを経験していくチャーリーだが、中でも注目なのが彼と文学を結んでくれた人、チャーリーの国語教師アンダーソン先生だろう。アンダーソン先生は初授業の日に、ある図書課題を提示する。それが『アラバマ物語』("To Kill a Mocking Bird")だ。

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この作品はアメリカではあまりにも有名で、高校の教材として使われるぐらいだという。作者のハーパー・リーの自伝的小説で(彼女は先に上げたトルーマン・カポーティと幼少期に親交があった)、内容は父親で弁護士のアティカスが無実の罪をきせられた黒人青年を弁護する様子を、娘のジーンが無垢な眼差しで社会と対比しながら観察していくというものだ。『ウォールフラワー』と共通する部分は、この「無垢性」に有るといえる。子どもは残酷すぎる社会を無垢な目で眺めながら、その汚れた社会の雨を浴びながらいつのまにか大人になっていく。『アラバマ物語』で描かれる黒人差別という社会的不条理をジーンが無垢な目で見るように、『ウォールフラワー』のチャーリーも自らが立たされている残酷な社会に対して、汚れていない純粋でピュアな視線を向けるのだ。

アラバマ物語

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3映画『ジョゼと虎と魚たち』の中の文学作品『一年ののち』

 

最後は日本の映画である。『ジョゼと虎と魚たち』も文学好きな人にはたまらない作品だろう。大学生活を謳歌している恒夫はある日、足に障がいを持つ少女くみ子に出会う。彼女は自らをジョゼと呼び、不自由な足も気にしないおおらかさで、徐々に恒夫を魅了していく。

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そんなくみ子のニックネーム、ジョゼ、は彼女が読んでいる本の登場人物に由来する。彼女は足が不自由なのでほとんど外出せず、家にこもって料理をつくるか本を読んでいるのだ。

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(この積ん読の仕方はそうとうな文学好き)

 

彼女がこよなく愛す本、それはフランソワーズ・サガンの『一年ののち』である。サガンといえば『悲しみよこんにちは』が代表作であるが、サガンというペンネームは上記の『失われた時を求めて』の登場人物の名前を拝借したのだそう。また、彼女がアメリカを旅行したときには、トルーマン・カポーティも同行したらしい(こうやって人と人がつながるのが文学の面白いところでもある)。そんな彼女の書いた『一年ののち』はサガンらしい知的な文章で溢れた作品である。内容は自由奔放な女性ジョゼや、50代の夫婦や、若手の作家や俳優たちなどが互いに複雑な関係を結んでいく話だ。『一年ののち』は、サガンのどの小説にも共通することだが、一見満ち足りた生活は実ははかないものである、ということを克明に表した作品だ。

一年ののち (新潮文庫)

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「いろいろ見なあかんもんがあるんや。花とか、、猫とか、、」

身体的にハンデを負うくみ子ことジョゼは、そのように外の世界に憧れるも、サガンの小説に触れて、満ち足りた生活が決して幸せな生活ではないことを痛いほど理解する。資本主義社会を生きる僕たちもつい必要のないものまで買ってしまう。それは決して悪いことではない。しかし満ち溢れているがゆえに、つい大事なことを忘れてしまう時もあるのだ。時にジョゼのように立ち止まって、一人部屋の中で考え事をするのもわるくないのではないか?

 

 

さて今回は合計で6つの作品を紹介した。文学と映画というのは切っても切れない関係で結ばれており、それが互いに刺激し合うからこそ僕たちの心に深く染みていく。間テクスト性とはそういうものだ。僕たちの思考も常に誰かしらからの影響を受けており、完全なオリジナルなど存在しないのだ。僕たちはパクりものの集合体だからこそ、人間的な魅力が増すのではないだろうか。