夜の果てへの旅

僕の夜の果てへの旅の記し

「死にたいなら1人で死ねよ」という言説について

僕たちは誰1人として、誰かの命を奪うことはできないし、その存在を否定することはできない。それは絶対あってはならないことだ。 テロや殺人事件が起こった場合、事件の首謀者を裁くのは僕たち市民ではなく、すべては法の権限に基づいた司法判断に依らねば…

無印良品と資本主義社会

僕たちの生きる世界は、ありとあらゆる記号で成り立っている。信号が赤になれば人々は足を止め、その間に店のショーウィンドウに映るブランド品を眺めたりする。この場合、信号はもちろんのこと、ブランドも立派な記号なのだ。 例えば僕たちは、ヴィトンの鞄…

インターネットのくだらなさ

僕は今ここに記事を書いている。 そうした身が言うのもなんだが、僕は基本的にインターネットが大嫌いだ。 なぜか? インターネットは嘘だらけだからだ。 ここで自由に記事を書いているが、僕は人々(僕も含めて)が自由にあれこれ書ける環境をディストピアと…

Netflixオリジナル映画『ブラックミラー バンダースナッチ』を分析してみる

まず映画の基本情報から始めようと思ったが、それはきっと誰か他の人がやってくれるに違いない。なので僕は、この映画のバックグラウンドなどは抜きにして、哲学や他の作品との間テクスト的な分析を試みたい。 メタフィクション 作品内の人物が作品を飛び出…

私たちはなぜ分かり合えないのか?(哲学的に答える)#使える会話術

言葉を話すとき何を共有しているのか? 私たちは普段コミュニケーションをするとき、言葉という透明な媒体を使っています。でも言葉を共有しているわけではないですよね?どういう意味か。つまり、私たちは言葉を使って何かを共有しているということです。 …

私たちがやりたいこと

やりたいことがない 当たり前。水と食料と安全な寝床が確保できる日本で、やりたいことを探すのは実は相当苦労する。最低限生きていくにはバイトでもいいし、田舎なら家賃だってそんなにかからない。しかし、私たちは当たり前のように社会からいつもこう呼び…

自分探しの旅、してきます

自己分析と自分探し 毎年肌寒くなってくると、就活を控える学生たちが必死に自己分析に努めているのを耳にする。自己分析とは、今まさに社会へ足を踏み入れるために、誰しもが行うイニシエーションである。自分はどういった人間で、どのような職業があってい…

文学好きのための映画の中の文学

「間テクスト性」という言葉がある。これは文学批評理論などで使われる専門用語だが、簡単に言ってしまえば、「どんな作品も少なからず他の作品に影響を受けている」ということを意味している用語だ。ここで言うテクストというのは文学に限らず、映画など他…

Oasisのパクリ曲!?とこれから

90年代のイギリスを代表するロックバンドを1つ上げるとすれば、僕は間違いなくOasisを挙げる。60年代をThe Beatlesの時代とすれば、90年代はOasisの時代とも言える(もちろんblurやThe Verveなどモンスター級のロックバンドもいた)。 Oasisと言えばその中…

はじままして、夜の果てへの旅人です

フランスの二十世紀を代表する作家の一人に、ルイ=フェルディナン・セリーヌという人物がいる。僕のハテナブログでのニックネーム「夜の果てへの旅人」は、彼の代表作『夜の果てへの旅』から拝借したものである。僕はこの本を大学一年生の時に読み、その読書…